教育学部生が公認会計士を志すまでの話
私の将来は?
私は何が好きで何がしたいんだっけ?
みんなはどんなモチベーションで日々を生きているんだろう?
『将来、私は幸せでいるのだろうか?』
バカで甘ったれたこの大学生は悩みのドツボにはまりました。
若者の悩みの変遷をぜひ見て行ってください。
※ただの自分語りで申し訳ありません。
※私の稚拙さから読者様を不快にしてしまう恐れがあります。ご注意ください。
- 【高校2~3年生】なんとなく進んだ教育学部
- 【大学2年生 冬】自分は何者か。何者になるか。
- 教育学部は『教師になるための専門学校』である。
- 【大学3年生 春】コロナ&悩む、悩む、悩む。
- 【大学3年生 冬~現在】休学することに。
【高校2~3年生】なんとなく進んだ教育学部
あれは高校二年生の立冬を少し過ぎた頃だろうか。
私が通っていた高校は田舎の男子高校で、各々が幅広く進路を決め始めていた。
地元で就職を決める奴もあれば、東京大学や医学部に進もうとする奴もいたが、マジョリティーは行けそうな大学に進むことだった。
そんな潮流に流されて勉強はしてみるが、大学で勉強したいこともないし、将来なりたい職業もフワッとすら浮かばないような状況だった。
しかし、友人に訪ねて回ると意外と『そんなもん』らしい。
でもどうだろう。
何も指針を決めずに進むのはいかがなものか。
そういうわけで当時やっていたロックバンドを死ぬまで続けられるように『大学で何か資格がとれたらいいな』という理由で地元国立大学の教育学部を選んだのである。
なんとも中二病的な考えだということは私が一番恥ずかしく思っている。。。
超キツイ。。。
当時は本気でバンドで売れると思っていた気がする。。。
軽音楽部の先輩が埼玉大学教育学部に進んだことも大きかったかも。
『俺はバンドをやるために大学に行くんだ。』
【大学2年生 冬】自分は何者か。何者になるか。
地元にある国立大学の教育学部生となって二年ほど経つ。
あれだけ息巻いていたバンド活動の行く末は早くも見えた。
解散。
月に2~3本のライブ活動を行い、曲も10曲くらいは完成させていたけど一年半で私は夢と幻想にお別れをした。
『有名になりたかっただけで、音楽だけで生きるにはパッションが全然足りないよな』ざっくり言えばこういった話し合いを経てメンバーとはただの友達に戻った。
音楽がないと死ぬような人でなければ成功なんてしないんだろうなと思う。
大学の勉強や一人暮らしの生活費を稼ぐバイトで精一杯で、バンドが忙しさを増やす要因の一つでしかなくなってしまったことも理由の一つである。
『あれ?今なんのために毎日動いてるんだろう?』
気づいたら虚無の中で走る浮浪者になっていた。
自分のしたい事もわからず、将来も見えない。
エリクソンが提唱した青年期の発達課題(アイデンティティと同一性の拡散)にバッチリ当てはまった。
高校生の時聞いたときは『自分が分からなくなるとか草』って思ってたかも。
嗚呼、恥ずかしい。
高校生の頃や大学生になりたての頃はあれだけ熱中していたバンド活動なのに。
しかし人間は慣れてしまう生き物だなとつくづく思う。
だんだんと自分も教師になる気持ちにシフトしていった。
だって日々のバイトや学校生活ではほとんどが教育学部生。
心の端っこに小さくも大きいモヤモヤを抱えながら『おれは教師になるのかもな』と思った大学2年冬。
教育学部は『教師になるための専門学校』である。
大学生は自動的に色々な人に出会い、自動的に進路が決まると思っていた高校生の頃。
そんなことはないよと伝えてあげたい。
教育学部は『おれ教師になるっしょ』と決意できた崇高な人間が行くところだよ、とも。
教師という職に就く為の勉強や、教師になってから役立つことを教えてくれる教育学部は逆にそれ以外を学ぶのは難しい。
本当はそれで十分なのだが、私はそれで疲れてしまった。
甘い。甘すぎる。道を探す奴は自分で探す。
周りはみな『教師になりたい』と言う。
そんなみんながキラキラして、素晴らしく見えた。
進路の8~9割が教師を含む公務員になっている体感で、魅力的で真面目な良い人ばかりだ。
だからそのマジョリティから外れる進路を選ぶことは、漠然とした不安と情報の少なさを感じざるを得ない。
加えて、高校生だった頃、大学生は『自由を謳歌できる人種』に見えた。
魅力的なことを沢山学べて、女の子と遊び、趣味や楽しいことを心から味わえる楽園に行ける。そう思っていた気がする。
そんな幻想が打ち砕かれるのは早く、先輩から教わった履修登録の時間割を見た瞬間はビビった。
週20コマの授業は日ごとに換算すると一日当たり6時間。
50分授業の高校生より多いじゃん。
バイトも週4~5でするでしょ?バンドもりたいのに?
あんまりほかの事できないかもな?
もちろん教育学部より忙しい学科や学部なんていくらでもあるが、全員忙しくて大変なんだろうなと思う。
【大学3年生 春】コロナ&悩む、悩む、悩む。
2020年春。
新型コロナウイルスが流行りだした。
元々引きこもりがちの私にとって、オンライン授業は楽だし苦手な人に気を遣わずに済むからコロナウイルスの蔓延や自宅待機は苦ではなかった。
しかし、友達にも会わず一人暮らしの家でポツンと一人でいる時間は莫大になった。
就職も視野に入れなくてはいけない時期だということもあり、いろんなことを悩みに悩んだ。
就職四季報を読んだり、自己分析をしたりしても悩みは尽きない。
『労働の権利を得るために勉強するのか』
『俺はこのまま教師になるのかなあ』
『楽で給料のいい仕事ってないもんかね』
『世の中にはどんな仕事があんの?』
『個性だ。自分のペースだ。っていう割に大卒は全員就職しなくちゃいけないのかね』
『公務員がいいのか。民間企業がいいのか。』
『結婚したいけど、働かないと結婚できないよな』
『家族が欲しいなんて気持ちがなけりゃバイトして生きていくのにな』
悩みに悩んだ挙句、結果は出ない。
ただただ大人になる自分から逃げたいと思っていただけだったと思う。
今でもそうだけど。。。
今まで生きてきた短い道のりを考えたり、自分の今の状況を整理して考え始めたりもした。
それも結局自己嫌悪で終わるのだ。
その頃から街に出るといつも思う。
電気工事士の方、その周りに立つ交通誘導員の方、本屋の店員さんやガソリンスタンドにいつもいるおっちゃん。
その人たち全員が働いていて、自分の家族を支えている。
全員が全員聖人に思えるのだ。
彼らは約束と時間を守って働き、私が悩みに悩んでいるこの同じ世界で力強く生きているのだ。
今もしこれを読んでいる貴方もその一人かもしれないけど、本当に尊敬しているしそういう人のおかげで毎日生かされているとつくづく思う。
【大学3年生 冬~現在】休学することに。
夏~秋にかけての6週間の教育実習は無事終えた。
コロナウイルス蔓延予防の観点から例年より3週間短くなったらしい。
結果からいうと楽しかったし、やりがいを感じた。
でも
『40年この仕事するのか?』
『自分に教師が務まるか』
という感情のほうが数倍大きい。
先輩や先生の話では教育実習に行くと教師になりたくなるのだと口を揃えて言う。
『え~、嘘じゃん。』
どうやら私には当てはまらなかったらしい。
春からずっと悩んでいるのに答えはでない。
その焦りも余計に悩みを深くしていく。
ある日『なぜこんなにも決心がつかないのか』について考えていると、一つの原因に気づいた。
今まで、自分から目標に向かって走ったことはバンドくらいしかない。
大体の人生の選択も兄貴の道に倣うか、周りのだれかに流されるかだ。
いい子にしてきただけの三男坊主は知らぬ間に『強い意志のない人任せ人間』になっていた。
これが原因かも。
小中では先生の勧めで生徒会長になったり、高校でも生徒会に入ったりはしてもただのいい子ちゃんでしかなかった。
特段リーダーシップがあるわけでもないし、良い子で目立ちたがり屋の使いやすい生徒でしかなかったんだと思う。
学校でいい子にしていれば将来はきっとうまくいくと思っていたがすべて成り行きまかせでフラフラした。
教育学部に入ったのもバンドありきだったからこそ、宙ぶらりんの状態なんだと初めて気づく。
悩みに悩んだ挙句、だんだんモヤモヤは薄れていく。
教育学部生の大半は、一般的な公務員か教師になる。
その二択だ。
バンドありきで在席している教育学部生として、その二つの選択を迫られるのに嫌気がさしたのは、『成り行き』で決めてしまったからだ。
何か自分で選択し、力を入れるためには何かもっと違うものが必要だと強く感じた。
まずは民間企業の就職を目指して就活してみようと思ったが、『教育しか学んでないクソガキがなんの業界に入れるのか。』と感じたし、同級生や先輩に就活経験の深い人はいない。インターンシップなんかは教育実習に行っていた期間に大体終わっている。
さぁ、どうしようか。
少ない選択肢のなかから選ぼうとするがそれもできない。
なら、全く違うことを学び始めようじゃないか。
周りの人や自分すら考えてない別のことを。
どうせやるなら目標が明確化されているものがいい。
私は今まで視野に入れていなかった手段を模索し始めた。
留学はだめだ。その先の目標決定をする意思がないもの。
大学に入りなおすのもだめだ。結局先延ばしにするだけだもの。
英語を専攻しているけど、英語を極める気にはなれないな。
考えあぐねているとネットの記事で『国立大学は休学が無料である』という情報をキャッチした。
『さぁさぁ、もっと自分の知ろうとしてこなかった世界が見られるぞ。』
『無料でもう少し先延ばしにできるかもな』
興奮と甘えた安堵を覚えた。
ここで何も決めずにまた先延ばしにしたら、本当に堕ちると思う危機感は幸いにもあったので休学も視野に攻めの進路を考えた。
『なんとしても、自分なりに攻める。』
今まで全く興味すら持ったことがなくて、成功体験や達成感がわかりやすくて大きいものがいい。
また、調べに調べ始めた。
そしてふと出会ったのが公認会計士という資格である。
全く突拍子もないこの考えは意外とリスクが少なくて、メリットが大きかった。
今勉強をしている中でこの資格の難しさには打ちのめされそうなこともあるけれど、勉強していく過程で、確かに役立つ知識を蓄えることができる。
そして今も毎日進歩している実感が大きい。
なぜならこの社会は企業間のビジネスによってお金が回って、成り立っているからだ。
経済に直接かかわる会計を学ぶことで、少しは社会を知ることにもなったし自分の可能性がぐんと広がった気がするから。
確かに自分で決めたんだ。
それだけでも進歩かもしれない。
そんなこと言っても『当たり前だよ、甘えたモラトリアム人間が。』と笑われるかもだけど。
そんな成り行き人間であきらめ癖のある私には強みがある。
自分で決めたんだ。
という事実だけで大きなチベーションと自信になる点だ。
そういう自信が出てくると将来の不安も少し小さくなった。
『どーせ失敗しても教員免許あるんだから教師がんばっちゃおう!!』とかね。
今でも悩み癖は治らない。
だからからこそ、合格もしてないのに文章を書き始めた。
だけれど格好悪いとは言わないでもらえると非常に助かる。
いつかここで合格報告ができるように愚鈍な大学生は今日も簿記の世界に行ってきます。
自分の未来がどうころんでも今は楽しみで仕方ない。